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June 23, 2011

梅棹忠夫と日本語版Wired再創刊号

 6月5日夜にNHK教育テレビで放映されたETV特集 暗黒のかなたの光明 ~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~の中で、梅棹忠夫は、科学というものはコントロールできないことを指摘続けていたことが取り上げられていました。今回の原発事故の背景を深く考えるのに役立つ番組でした。例えば、梅棹忠夫の著書の中から次のような文章が引用されていました。

いま 現存する科学知識を全部消滅させることができても人間はまた おなじことを やりはじめます。
真実をあきらかにし 論理的にかんがえ 知識を蓄積するというのは人間の業なんです。(「未来社会と生きがい」1970年より)

 それ以外にも、私のほうで調べてみたところ、次のような文章もありました。


 科学というものは一般に理性的な営みと考えられているけれど、そうではなくて、科学をつき進めてゆく力はむしろ一種の衝撃 ― 知的衝撃というものだと思うんです。はね返りのことはあまり考えない。
(中略)
あとでゆっくり整理してみたら、はね返りがあったということもわかるし、それをコントロールすることもできるけれども、いまやっている科学を進めている力は、あまり分別くさいものではない。むしろ盲目的衝動に近いたちのものじゃないでしょうか。
(中略)
 私がいいたいのは、生活上の欲求から課されたさまざまな課題があって、それをみたすために科学が生まれたのではないということです。もっとなにか、科学を生み出す生命的な欲求の方が、先にある。それが根底にあるものだから、科学はさっきからの話のように、じきに日常体験から離れたところにいってしまう。常に迂遠なところに走ってゆくという性質をもっているんです。
人間にとって科学とはなにか (湯川秀樹・梅棹忠夫 著、中公新書、1967)より。

 このような考え方は、梅棹忠夫だけの意見ではなく、技術の哲学という本の中には、ハイデガーも、技術のコントロールができないことを指摘している(まだハイデガー本人の本は未入手)と述べられています。

 関連する話として、今月、日本語版Wiredの再創刊号が出版されましたが、その中に、世界はすでにコンピューターに支配されているという記事がありました。既にもう人間がすべてをコントロールすることはできない世界になっていることが実感されます。しかし、ある程度は人間がコントロールできないといけないわけです。政策的な課題として、いろいろと頭をひねる必要があるでしょう。

[追記] (2011/6/25)
 上記のWiredの記事ですが、出版前に人工知能に詳しい人(AI専攻の大学院生など)にチェックしてもらったほうがよかったかと思いました。用語の訳の変な箇所が何か所かあります。明らかな誤訳もありました。世界はすでにコンピューターに支配されている(3/3)に「ルンバは、部屋にある障害物をすべて把握しないし」とありますが、原文では、"which doesn't initially know the location of all the objects in a room" です。ルンバは、部屋の中を回って掃除しながら障害物を学習しているはずです。ですので、「最初は把握していない」と、正しく訳して欲しかったです。

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